60cmオーバーを求めて  文 S.Y.

「とんじろ」に初めてお世話になってから早いもので20数年が過ぎた。その間、毎年欠かさず10日から20日は滞在しているので、延べ何百日になるのであろうか。ともかく自分の歴史のかなりの部分が奥只見で形成されたことは間違い無いと思う。
 当初の奥只見はまだ関越道が前橋までしか出来ておらず、前夜、横浜を発っても朝まずめに間に合わないという、渓流釣りとしては遠隔の地であった。電発の姿勢も穏やかで、簡単なゲートがあるだけで、釣り人は「○○」からバイクで川へ直行できるのどかな時代であった。しかし、当時すでに渓流釣りブームの走りの頃であったから、袖沢周辺は深刻な場荒れの様相を呈していた。初釣行では幸運にも2匹の沢物に恵まれたが、釣枝の未熟なこともあって、数は今と余り変わらぬ位と記憶している。
 その後、奥只見での経験は全国の渓流釣行に反映し、釣果も伸びて行ったが、年ごとに大イワナは奥只見で釣らなければならないとの感を強くし、ルアー・フライにチャレンジし、放水口通いが始まった。しかし、「とんじろ」の多くのお客さんがそうであるように、最初の数年は30・半ばがようやく釣れる程度であった。ボウズでシルバーラインを下ったことも少なくない。ただ私の釣りは、エサ、ルアー、フライを状況によって使い分けるスタイルなので、何かしらの気分転換をはかりながら、時には虫採りや山菜採りがメインになりがちであったが、とにかく「ベストタイムに当たるのを待つ」ことにした。
 私はサクラマスやイトウ釣りもやるが放水口のイワナ、それも50・オーバーの希少性は「幻の魚」に匹敵するものと感じている。また、その難しさとこの釣りにかける釣人の執念は他に例をみないものと感じている。ちなみに私の経験ではイトウ釣りでの「釣れないことに対する耐性」が、放水口のイワナ釣りに大いに役に立っていると思う。
 いつの間にか私も「とんじろ」のお客では古参の部類に入るようになってしまった。毎年会う人の顔ぶれも大分変わってしまった。最近来られた方には光栄にも「どうしたらこんな大きなイワナが釣れるんですか?」と聞かれることもあるが、私が言えるのはいつも「我慢です」である。私の例では50・を釣るのに20年近くかかっているが、翌年には60・に恵まれて、益々のめり込むことになってしまった。無欲になった筈が益々貪欲になってしまった訳である。ちなみにマスターは65・を釣るにはあと20年かかると言われている。
 これ程、同じ水系に通いつめるというのは、大イワナの可能性は勿論であるが、やはり奥只見の自然とそこに集まる「人」に魅せられてとしか考えようがない。不眠でシルバーラインを越えて、マスターの顔に接する時、そして、釣りから帰って奥さんと娘さんにインディーまで出迎えてくれる時、都会のストレスが霧散しているのを感じるのは私ひとりではないだろう。
 袖沢や大鳥のメンバーも大分歳を重ねたが、時には家族ぐるみで「とんじろ」を訪れる光景が見られるのは微笑ましい。次の世代にこのイワナ釣りが伝承されることを願って止まない今頃である。